復興支援都市という考え方

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去年のGWは宮城県石巻にいた。

知人の家の泥かきをし、家を修復したり、電気屋らしいエアコン撤去などもしてきた。

宮城県石巻は、私が影響した『アラスカ物語』のフランク安田の生まれ故郷だ。
東北志向が強い私は、東北の鉄道をすべて乗りつぶしたり、三陸をバックパッカーのような旅をしたりしていた。

津波の映像が出て、テロップに地名が出ると、すぐ頭の中に地図と昔訪れた風景が蘇えった。

福島県の川内村は奥まった村で、津波の影響はなかったが、原発という影響を受けた村だ。
陸の孤島と言っては、川内村の人々には失礼かも知れないが、交通の便がとても悪い村だ。 

私はいつも、常磐の富岡ICで降りて、夜ノ森を通って川内村に入って行った。 
常磐が伸びる前は、いわきICで降りて、山道を走って行ったのを覚えている。 

特に目立った観光資源はないが、浜通り地方には珍しいイワナの生息する川があるので、私は通っていた。
旨い蕎麦屋があって、最近になって、日帰り温泉施設ができたのも私にはお気に入りの村だ。
皮肉にも、この温泉施設のブログが3月11日で止まっている。
かわうちの湯

義援金として、皆さんもお金を送ったと思う。 

僅かだと思うが、被災された人や街の足しになったのではないかと思う。

一年以上が経ち、復興の為には何が必要かを考える。 

『お金』とは安易に考えたくない。 

被災された方は、もちろんお金が欲しいと思うが、キツイ事を言うかも知れないが、安易にお金を出しては復興を遅らせると思う。 

トマトを甘くするのは、水を少ししか与えないと良いという。 トマトをストイックにすると自らを甘くするのだそうだ。
植物は肥料豊富より、厳しさを与える事によって、子孫を残す為に花をたくさんつけるそうだ。
人と植物を一緒にしてはいけないが、仮設住宅で暮らす方にいつまでもお金を提供していたら、復興にはならない。

復興する為の『力(ちから)』を与えなければいけないと思う。

宮城県東松島に、シジミストラップというブロジェクトがある。 
仮設住宅の人々がストラップを作り、それが売れる事によって、生きがいを感じてきた という話です。

仮設住宅に暮らす人々に生きる勇気を与えるのは、『自分の存在を必要としている人が居る』、
『自分の居場所を明確にする事』と、このプロジェクトを立ち上げた、石川 仁徳住職は唱えます。

このシジミストラップを買ってくれる人が居る。欲しい人が居る。 その事により労働意欲が出て、復興につながるのです。

どうでしょうか?

被災地の支援として、自分の支援したい街があるというのは。 

いつも気にしている街がある。そこに遊びに行ったり、産地の物を購入したり。 
その街が復興する為に、経済的支援をするのです。

私的復興支援都市とでも言いましょうか。

お酒や物産品を取り寄せるのも良いですね。 

私は、宮城県の石巻と、福島の川内村をこれに当てはめるとましょう。 

さぁ、あなたは どこの街を支援都市としますか?

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