私の趣味であるフライフィッシングの世界に名児耶浩史という男がいた。
彼とは20年来の釣友だ。
でも実際に一緒に行ったのは5年くらいの期間しかない。
その大半は彼は病気で釣りには行けない身体になってしまったからだ。
名児耶浩史は、フライフィッシングで使う毛ばりを制作してそれを売る事によって収入を得ていた。
毛ばりを作る人をフライタイヤーと呼んで、彼は日本でも数人しかいないプロタイヤーだった。
でも毛ばりを売るだけでは、収入が少ないので釣り雑誌や釣り専用番組などの出て出演料などを得ていた。
私も当時は、一緒に行って雑誌などに載せてもらったこともあった。
雑誌などに出ていたから、フィッシングショーなどでは毛ばりを巻く デモなどをして注目を浴びていた。
中にはサインを求めてくる人もいたくらいだ。
プロだから釣り具メーカーのアドバイザーもしていて、試作品のテストをしたり、サンプルをもらったりしていた。
だから、彼の釣り道具は貴重な物が多く、マニアにはたまらない環境だった。
そんな彼の家を自由に出入りで来た私は、結構レアな釣り具ももらったりしていた。
名児耶浩史が倒れたのは2000年だっただろうか?
長野からの帰り道、モノが2重に見えると言いはじめ脳梗塞の疑いがあった。
その翌日自分で救急車を呼び、そこから闘病生活が始まった。
独り身だった名児耶浩史は家族もいないし、親戚も遠縁で病院への見舞も釣友しか来る事は無かった。
病院は3か月しか入院できないので、転院を繰り返した。
その度に釣友が世話をした。
2年くらい入院生活が続いただろうか? 退院して自宅に帰る事が出来るようになった。
でも帰る家が大変だった。 2年も人がいなかった家。
ネズミなのか?小動物の荒らしがすごく、とても人間が住める状態では無かった。
釣り仲間で手分けをして片づけた。
退院してから、車いすの生活だったけど、手はそれほど障害が少なったようで、リハビリを兼ねて 毛ばり作りを始めた。
あまり細かい毛ばりを巻くことは出来なかったけど、それでも 名児耶浩史の作成という事で、某管理釣り場では販売してくれていた。
中には名児耶浩史復活プロジェクトを立ち上げ支援してくれる人も現れた。
でもやっぱり車椅子のままでは渓流には行けない。
釣りに行けない、プロタイヤー。
彼は半ば、釣りをあきらめ、閉じこもる生活と変わっていった。
釣り友達も減っていった。
中には貴重な釣り具を持っていく人、または彼も生活の為に釣り道具を売っていたりしていた。
3年くらい前からだろうか? 釣り道具もほとんど無くなり、それを目当てに来る人も居なくなった。
家には介護ヘルパーさん、そして私は電気屋として時々家のメンテナンスで行くくらいになっていた。
名児耶浩史は2016年3月に三途の川へ釣りに行った。
釣り道具も持っていないくせに。
家には誰も居ない事を良い事に好き勝手に。
葬儀は家族が居ないので、介護ヘルパーさんからあまりにも寂しすぎるからと声を掛けられた。
あんな大柄な体格が骨になると、こんなツボにも収まってしまうのですね。
部屋を片付けていると、ヘルパーさんが発見した。
これって?釣りの道具かしら?
これはまさしく、名児耶浩史の分身。 毛ばりを巻く為に一番大事な道具のダイナキングのバイスだ。
竿やリールなど処分したけど、やっぱりダイナキングのバイスだけは手放さなかったのですね。
私はこの バイスを形見として頂いてきました。
そして私はこのバイスを使って、彼の代表作である、パーフェクトダンを巻こうと思う。
合掌