食べ終えたトウモロコシの芯の画像で失礼します。
ゆでたり、蒸したり、焼いたり。トウモロコシを食べると夏を感じますね。
お祭りの屋台では焼きトウモロコシが普通ですが、家で食べるときは蒸したり、ゆでたりしますよね。
電気屋って仕事はいろいろな家に行くので、時にはお客様の家でいろいろな食べ物をごちそうになります。
この夏の時期はトウモロコシもその一つです。
『ほら、トウモロコシ食べて!』と出されたトウモロコシですが、いきなりは食べません。
イチョー私、仕事で来ているしね、お客様が最初に口にしてから食べるようにしています。
それと同時に、食べ方も観察してます。
トウモロコシって、食べ方が大きく分かれます。
もう一度写真を貼りますね。
左の食べ方と右の食べ方は、食べ終わった芯の状態を見れば想像できますね。
左はトウモロコシの粒を一つ一つ手でもぎって口にする食べ方です。
右は歯でガリガリと食べていく食べ方です。
どちらの食べ方も私はやります。
お客様のところでご馳走になる場合は、お客様がどちらの食べ方で食べるか? そこを見極めてから食べるようにします。
これを怠ると。
例えば、左の食べ方をお客様がしていいるのに、ガリガリ食べていると。
『アンタ、そんな下品な食べ方するの?』と言われかねない。
逆の場合は。
『アンタ、そんな食べ方で美味しくないだろ?』とも言われる。
その家々の流儀を重んじて食べないと、トウモロコシひとつで、気まずくなってしまう。
ところで。
このトウモロコシの食べ方の違いを様々なお客様のところで調査したところ(たんなる会話の統計です)はっきりした地域性が分かりました。
まず、ガリガリ口でかじる地域は関西圏です。 食感を味わうにはこの方が甘味と粒々が口の中で弾ける感覚も楽しめるそうです。
確かに私もそう思います。 トウモロコシを粒とは思わないで、一つの棒状の食べ物と思うと一つ一つの粒はどうでも良くなってくる。
納豆を一つ一つ粒としては食べませんよね。 イクラもそうですよね。粒の集合体として食べるモノと捉えているのが関西圏のトウモロコシの食べ方なのです。
それに対して。
一粒ひと粒を手でもいで食べるのは東北地方の人です。 特に山形はこのように食べるようです。
恐らく(私の推測ですが)上杉鷹山の倹約の精神があって、このトウモロコシの一粒、一粒を大切に味わうという考えが根付いたのではないかと思うのです。
食べ終わたトウモロコシの芯を見れば一目瞭然ですね。 左には食べ残しがほとんど無く、一粒を大事に食べた事が分かります。
東北地方は江戸時代、財政難な藩が多く、倹約して藩財政を立て直していました。その風習は今でもあります。 アリとキリギリスで言えばアリさんタイプが東北の人だと思います。
もっと大きなくくりで言うと、農耕民族的な食べ方は左で、狩猟民族的な食べ方は右といえると思います。
海沿いは漁業なので、狩猟民族的な食べ方。 山間部は農耕民族的な食べ方。
農耕民族は、農作物の尊さを思いながら一粒を大切に味わうのです。
狩猟民族は、いつ次の獲物にありつけるか?わからないので、かじりついて食べる風習があります。
私は、海沿い出身の母と山間部出身の父とのハイブリッドです。
そして、この食べ終わたトウモロコシの芯を前に二人はいつも自分の主張を通します。
まぁ、父は声帯がないので話せませんけどね。
さぁ、貴方はどっちの食べ方かな?
食べ終えたトウモロコシの芯をネタにブログ書くなんて、私もマニアックだよね。